第二章 隻眼王


 郊外に打ち捨てられた廃墟、その敷地内を外に向かって一匹の人狼が疾駆していた。
 彼は一度だけ後方を顧みて、諦観と苦渋、そして幾許かの安心を含有した吐息を漏らす。
 どこをどう走ったのか、自分でも分からないが……どうやら逃げ延びることが出来たら
しい。
 だが……他の連中は。
 人狼は惨劇を思い出し、湧き上がる悪寒に身震いした。


 偶然、建物の入り口付近に立っていた彼は見届けたのだ。
 闇が凝るようにして、無明の空間から生まれ出ずる大蛇の姿を。
 実体を持たない影の蛇が、妖術師の言葉に誘われるように具現化される、その瞬間を。
 あの蜷局に取り込まれてしまえば、助かるすべなどありはすまい。


 二十頭からいた群れももう、自分だけになってしまった。頭目も、仲間も、みな死んだ。
 やはり妖鳥の警告は正しかった。人を襲えば『獅条(しじょう)』が来る。
 己の世界から『はぐれた』妖魔には、最早破滅しか待ってはいないと。
 生き延びる道はただ一つ……妖魔の本性をひた隠し、人に化けて生きるしかない。
 高潔な人狼族の誇りを捨て去り、劣等種族の社会に溶け込む道しか残ってはいないのだ。
 誇り高き狼の魂が、どこまでその屈辱に耐えられるのか。
 そも、この身が滅びるまで耐え切ったとして、それが『生きた』と言えるのか?
 獲物を狩り、殺戮に興ぜずして……これぞ人狼の生だったと、先に逝った仲間に胸を張
って報告できるか?
 否、断じて否。それは魂の、尊厳の、人狼としての腐敗である。
 秩序なき『はぐれ』として生きるも、誇りを捨てた畜生として生きるも、たどり着く果
ては同じ破滅。
 ならば答えは決まっている。
 群れの中で最も年若かった人狼は、立ち止まり月を仰いだ。


 幻術の届かぬ屋外。雲に飲まれたと見えた月は、変わらず天に輝いていた。


「紅き異郷の月よ。願わくば我が身に、果てた輩の無念を宿せ! 下等種族に味方する、
あの裏切り者どもを滅ぼし尽くす力を寄越せッ!」
 人狼は、月を神と崇め月明かりの加護を受ける夜の眷属である。
 日中、人と変わらぬ姿形に成り果てる彼らは月光を浴びることによって獣化する。
 そして月が真円に近づくほどにその能力を増していくのだ。
 彼らは神に生贄を捧げることによって様々な『願い』を祈祷し、時には恩寵を受けるこ
ともあるという。
 だが、彼の願いはあまりにも貪欲に過ぎた。このような身の程を知らぬ願いでは、いか
に乞い願ったところで叶うわけもない。捧げる贄すら用意できていない。
 挙句、ここには彼が神と崇める白銀の月はない。
 禍々しい赤光を放つ巨大な月は、さしずめ悪魔といったところだろう。
 だが構わない。神だろうと悪魔だろうと願いさえ叶えてくれるのならば同じこと。
 この命、喜んで贄として差し出そう。
「それで足りんというのなら、この目玉も持っていけ……!」
 彼は、自身の鋭き爪を眼窩の中に突き入れて、最後の捧物を引き摺り出した。
「ガアァァァァァァッ!」
 顔面を焼く激痛も、宵闇を裂く絶叫も、全ては月への供物となる。
 紅き悪魔に捧ぐなら、酸鼻な贄ほど相応しかろう――


 凄惨な願いを聞き届けたのは、果たして神か悪魔か、それとも全く別の何かなのか。
 ……人狼は知らない。
 滅亡に傾倒した、確率の歪曲した世界。この狭き異界の地において、滅びを願う心は何
よりも強い力となることを。


 自ら滅びるために異界との孔を開き、邪なる妖魔を呼び寄せたのも――
 滅びをもたらさんと叫ばれた、凄惨な願いを聞き届けたのも――
 すべては、滅びを願う『世界』の意思。
 それを神と呼ぶか悪魔と呼ぶかは、受け手の解釈に依るだろう。
 だが……確かなことが一つだけ。
 この地に住む、ありとあらゆる生命にとっての天敵とは、すなわち世界そのものである。


 はちきれんばかりに心臓が跳ね、頭蓋を撃ち抜かれたような衝撃が奔った。
 人から狼へ転ずる際と同質の――さらに巨大な力の発露。
 急激な体組織の変化は、人狼に地獄の苦しみをもたらした。
 骨は太く頑強に、肉は剛くしなやかに。
 自慢の鉤爪は禍々しく反って伸びる。十爪それぞれが紅き月光を帯びる曲刀の如くに変
じ、元より二メートル近い巨躯が、今ではさらに肥大している。
 自身の姿を映す鏡こそなかったが、全身に充溢する妖気の程だけで十分に理解できた。
 ――願いは叶えられたのだ。


 一時前まで、人狼族最後の生き残りであった妖魔は新生の雄叫びを上げた。
 大気を震わせる遠吠えは、誓約の証。世界に滅びをもたらさんと誓う、契約の咆哮。
 彼の名は『隻眼王』
 異界で果てた人狼たちの怨念が集積し、一つの肉体を憑代に示現されたもの。
 願うは破壊。厭うは光。湧き上がる衝動は全生命の殺戮である。


「――この世界には『滅び』の気が満ち満ちている。
『そいつ』は誰もが抱く願望、何かを希う意思に反応する。願いを叶える力をもたらす代
わりに、その代償として生物の心を闇に染めていく。心の闇に負け『滅び』に侵された者
を異形の姿に変貌させてしまう。
 人間は妖怪に。妖怪はさらなる高位妖怪へとシフトする。
 だがそれはもう、かつての存在とはかけ離れたモノだ。衝動のままに滅びをもたらす化
物でしかない。
 世界に邪悪な妖魔を顕現させるこの現象を……『魔性変異』という――」


 若い男の声が朗々と口上を謳い上げる。
 敷地と外を隔てる朽ちた門柱の陰から、人影が歩み出た。
 少年と青年の境界にある若い男。異形の白髪と不敵に眇められた三白眼。半袖のシャツ
に黒いズボンという出で立ちは、先ほど狼たちが食い散らかした『夕食』が着ていたのと
同じ、学生服だった。
 学生鞄を左手で乱雑に、背負うようにして持っている。
 逆の右手は地へ垂らし、奇妙な紙片を指で挟んでいた。隻眼王は知らなかったが、この
『紙』は願いを書き込み竹に吊るす『短冊』と呼ばれるものだ。


「――いい化けっぷりだ。立番で終わるつまらねえ仕事だと思ったが……恭二の野郎、中
々粋な計らいをしてくれるじゃねぇか」
 笑った。
 男はこの猛々しき隻眼王の巨躯を前にしてなお、薄寒い喜悦を浮かべたのである。
 それで理解した。この男もまたあの裏切り者たちと同じ、忌まわしき『獅条』の者。
 見るからに脆弱そうな人の矮躯。しかしそれでも、隻眼王は男を見縊ろうという気には
なれなかった。人の皮を被った化生たる彼奴らには、この世の常識など通用しないと正し
く身を持って知らしめられていたからだ。
 今すぐ首を捻じ切ってやりたいのは山々だったが、まだ新しい身体が馴染んでいない。
 ここは憎悪を抑え、一旦退くべきだ。
 人狼たちの智謀を一身に宿した隻眼王は冷静に判断を下し、一息で闇夜へと飛翔した。
が――
「ガァッ!」
 敷地と外の狭間。何もない筈の空間に、不可視の壁が存在していた。
 壁と激突した隻眼王は、擦過面から迸った紫電に感電して、成すすべもなく地へ落下し
てしまう。


「無駄だぜ狼野郎。俺がどうしてわざわざ、糞暑い夜にこうして突っ立っていると思う よ?
 兄貴どもが万一てめえらを取り逃がしたときに、ここで足止めするためだろうが」
 言って、年若い獅条は隻眼王に燃えるような視線を投げた。闘争を望む戦士の瞳。
 返す狼の視線は憎悪の黒炎を宿している。
 獅条と睨み合いながら、隻眼王は視界の端でもう一度、不可視の壁を検分する。
 見れば、敷地を囲うように茂る木々の其処彼処に、獅条が手に持つ物と寸分違わぬ紙片
が貼り付けられているではないか。
『世』
『田』
『介』
 短冊には、それぞれ文字が一つずつ刻まれている。
 三文字が一組となって意味を成し、廃墟を強力な結界で覆っているのである。
 この男、結界師の類か……。
 そう判じた隻眼王は戦略を改め、煉獄の眼芒にさらなる殺意を込めて投擲した。
 眼前の小僧を血祭りに上げねば、どうやら逃走も計れぬらしい。
 ならば是非もない。胸に滾る憎悪のままに、我が爪牙の餌食としてくれる。


 咆哮一閃、地を蹴った隻眼王は人外の速度で間合いを詰める。
 振るう鉤爪は鋼すら紙のように切り裂く威力を有していた。
 際どくかわした獅条の速度は人間以上妖魔以下。
 ただ体捌きの練度のみが、隻眼王との差を埋めて必殺の一撃を無効化した。
 当然、それで終わる隻眼王ではない。
 爪の一撃が必殺にならぬのなら、二撃三撃と繰り出せばいい。
 十爪による連撃は、さながら十人の曲刀使いによる剣舞のようだ。むしろ統率する脳が
一つである分だけ、連携は無謬である。
 変幻自在に繰り出される十の刃物は振るう度に速度を増して、獅条の体躯を掠めていく。
 対する獅条の体捌きも見事なものではあったが、速度で圧倒的に劣るというハンディ・
キャップは埋め難く、段々と避けきれなくなってきていた。
 あと数撃も振るえば体勢を崩すに違いない。
 その時は回避不能の一撃でもって心臓を貫いてくれよう。
 隻眼王は嗜虐の笑みで連撃の速度をさらに上げる。
「チッ――」
 果たして読み通り。姿勢を崩した獅条へと、隻眼王は必殺の確信を持って爪撃を繰り出
した。
 避けきれぬと悟ったのか、獅条が選択した行動は防御だった。左手に下げた鞄を前方に
翳し、即席の盾とする。
 見止めた隻眼王はこの愚挙を内心嘲笑った。人工革で造られた何の変哲もない学生鞄。
 例え鉄板が仕込まれているのだとしても、そんな物は無意味。
 隻眼王の爪は容易く防御を打ち破り、小僧の命を引き裂くだろう。
 だが――
 予想に反して、隻眼王の爪は弾かれた。鞄の表面に触れた途端、紫電を放って結界が作
動したのである。


 獅条は、へッとふてぶてしく一笑し、鞄の裏を見せ付けた。そこには結界を発生させる
件の短冊が、抜け目なく貼り付けられていた。
「グウウウウ……」
 射殺さんばかりに睨みつけ、隻眼王は瞋恚の唸りを上げる。
 若かりしといえどもやはり獅条。一筋縄で殺傷できる相手ではない。
 警戒を強めた隻眼王が、一旦間合いを離そうと守りに転じた瞬間――
「オラァッ!」
 虚を突く隙を窺っていたように、若き獅条は反撃の一撃を見舞ってきた。
 威勢のいい掛け声で殴り掛かってきた彼の獲物は、左手に持った学生鞄。
 先の攻防の前であれば、狂気に陥ったと判じてもおかしくない暴挙。
 だが、この鞄は――
「グウッ……!」
 防御した爪が、再び結界に弾かれた。紫電は爪を伝導して腕に至り、感電によって強制
麻痺へと陥らせる。
 妖魔の回復力をもってしても、回復までは一秒ほどの暇を要してしまう。
 その隙に、第二撃が来るのは明白だ。
 無茶苦茶だった。この結界師は、あろうことか結界で殴打してくる。
 鞄を媒体とし鉄壁の防御を見せた結界は、攻撃に転じて強力無比な電撃槌と化したので
ある。
 顔面目掛けて飛来する第二撃。熟練された体術を持つ獅条は、こちらに回避を許しはし
ない。最早隻眼王には、回復したばかりの右腕を動員して防御する他にすべはなかった。
 かくして両腕を封ぜられた隻眼王は、絶体絶命の窮地に陥ることとなる。
 止めとなる第三撃。
 振り下ろされる鞄の軌道は、正確に頭蓋を狙っている。これを食らえば、高位妖魔とい
えど意識の断絶は免れまい。すなわち当たれば死に等しい。
 雷神の鉄槌にも似た打撃が脳天に直撃する刹那――
「ガアアアアアアアッ!!」
 裂帛の気勢が動かぬ両腕を強引に駆動させた。
 仲間の仇を討たずして、断じて死してたまるものか。『滅び』に侵されてなお、隻眼王
の執念は黒く熱く燃え盛っていた。
 胸を焦がす報仇の誓い。例え悪夢が続くとしても、この命続く限り殺戮に狂わん……
 無我夢想で放った十爪は、計らずもこれ以上ないカウンターとなった。
 すでに結界を攻撃に使用していた獅条はそれでも五爪を相殺し、四爪をかわしたものの、
最後の一爪に手首を裂かれて左手の結界を取り落としてしまう。


「ハァァァ……」
 口端から湿った瘴気を吐き出して、ほくそ笑む隻眼王。
 結界の防御をなくした結界師など、何を恐れることがあろう。
 この小僧を喰らってやれば、あの化生どもも少しは大人しくなるだろうか……
 邪悪な空想に顔を歪め、隻眼王は最後の爪撃を撃ち放った。
 ……それが狼の命運を決定付ける、最大の過ちだった。
 そも、結界を形成していたのは文字の刻まれた三枚の札であり、ひいては文字そのもの
の力である。ならば、何故その効能を一種類と判じてしまったのか。
 眼前の男は結界師に非ず。強いて言うなら『符術師』に類する能力者だ。
 その事実に、隻眼王は最後まで気付けない。
 だから、獅条の手に最初から挟まれていた札が正しく文字通りの切り札であることにも
当然、気付くことは叶わなかった。


 隻眼王には目の前で起こった出来事が、理解できなかった。
 かつてない速度で標的へと殺到した十爪。その悉くが、今はもうない。
 破壊したのは他でもない獅条……彼は、指に挟んだ紙をこともなげに振って――
 鋼を切り裂く硬度を持つ爪を、十本残らず『切断』したのである。
(馬鹿な……!)
 全てが理解の埒外にあった。神意によって強化され無敵と化した筈の我が爪が、どうし
てあのような紙切れと打ち合って、切断されねばならない?
 利刀、魔剣の類ならばいざ知らず、アレは刃物ですらないではないか……!
 驚愕に見開かれた双眸が、振り切られた紙片を見据えている。


 刻まれた文字は『切』


 実のところ、呪力の込められたこの文字は紙片を鋼の刃に変えるものではない。
 世界そのものに介入し、森羅万象の理を一部分だけ書き換える秘術。
 これぞ獅条が七子、獅条七夕が所有するジョーカー、『字転(じてん)
『切る』という概念を付加された短冊は、術者を除き触れるもの全てに『切断された』と
いう情報を書き込む毒符と化す。
 結果として、硬度厚みに関係なく何もかもを破断せしめる刃としての性能を持つに至る
のだ。
 無論これも、隻眼王には知る由もないことであった。


「運が悪かったな狼野郎、あんたは生贄に選ばれた」
「なん……だと?」
 放心の体で呟いた隻眼王の鼻先に、ぴたりと短冊が付き付けられる。
「あの兄貴どもが、敵を逃がすようなヘマをやらかすわけがねぇんだよ。
 今、あんたの身体に充満してる『滅び』って奴はな、一度具現化させてやらねえと消す
ことができねえんだ。『魔性変異』を経た妖魔を殺すという方法でしか、この世界を浄化
する方法はねえ――つまり、だ。
 恭二の野郎はあえて、あんた一匹を逃がして泳がせたのさ。
 仲間を皆殺しにされて、復讐心に駆られた人狼に『魔性変異』を引き起こさせ、殺す。
 ……我が兄貴ながら、えげつない真似しやがるぜ」
 策謀の冴えに感心しながらも、全面的には賛同しかねる。そんな声色だった。
「…………」
 隻眼王は答えない。ただ突き付けられた紙片を見据え、黙したままだ。
「そして変異したあんたを始末するのが、この俺の役目だ。訓練のつもりなんだろうよ、
兄貴にしてみりゃあな。ありがたいこったぜ。そのおかげで、てめえと会えた」
 ニヤリ、と。強敵を前にした戦士の貌で笑う。
「獅条七夕だ」
 殺すべき敵を前にして、若き獅条は名乗りを上げた。まるでそれが決着を付ける前に必
要な、儀式なのだと言わんばかりに。
「隻眼王」
 短く名乗った声は低く邪悪に濁っていたが。覚悟を秘めた、誇り高き闘士の声だった。
 停止する両者の空隙を、砂礫が逆巻く風に乗って通過する。
 砂塵の帳が視界を僅かに遮った刹那、決闘は終幕に向けて再び加速を始めていた。


「いいや。オレは運がよかったぞ、獅条。
 群れの中でただ一匹、仲間に代わって貴様を食い殺せるんだからなァッ!」


 両者に出来た一瞬の隙。隻眼王は伏せるほどに身を屈め、来るであろう獅条の攻撃をや
りすごすと同時に、次撃の発条(ばね)へと換えた。
 魔性変異を遂げた人狼の脚力は、最早火箭(かせん)じみた速度で隻眼王の巨躯を跳ね上げる。
人狼族最強の攻撃手段は、元より爪などではない。
 隻眼王は伸び上がりながら(あぎと)をがばりと開いて――獅条の喉笛を噛み千切った。
 殺った……そう確信できるだけの速度と威力。


 嚥下した生き血には、けれど味がなかった。無味無臭の綿菓子を咀嚼したような、気味
の悪い噛み応え。謀られた……そう気づいたときにはもう、何もかもが遅すぎた。
 ひらりと舞い飛ぶ紙片には、『幻』の一字が刻まれている。
 背中に感じる絶望的な感触。
 獅条は己が幻体を身代わりに、隻眼王の背後へと回り込んでいたのだ。
 背に密着された指先には、二枚の短冊が挟まれている。


「あばよ隻眼王。あんた中々手強かったぜ」


 灼熱の呪符が起動した。喩えるならば榴弾の零距離発射。凄まじい爆発と轟音が、隻眼
王の巨躯を半壊させながら吹き飛ばす。
「ギャアァァァァァッ……!」
 断末魔の絶叫を上げながら、それでも隻眼王は倒れなかった。
 腹部には大きく風穴が開いて、地獄の業火が全身を焼き尽くしていく。四肢の先はすで
に炭化せしめられ、とても生物と呼べる様ではなかった。
「おのれ……おのれェッ!」
 だのに亡者は斃れない。どころか神経など残っていないだろう脚を地に噛ませ、一歩一
歩、よろめきながらも敵へと迫り寄っていく。正しく怨霊の執念といえた。
「オレは諦めん……例え身体が滅びようとも、必ず蘇って貴様を殺すぞ、獅条ッ!」
「好きにしろ。その時は俺が、何度でも殺してやる」
 怨嗟の叫びに、答えた声は冷たかった。
 隻眼王が最後に感じたのは口腔に突き入れられた腕の感触。(あご)の力を振り絞り、牙を突
き立てるよりも僅かに早く……止めの呪符は亡者の頭蓋を粉微塵に爆砕していた。


 隻眼王の身体が完全に燃え尽きるのを見届けて、獅条七夕は踵を返し去っていく。
 取り残された闇の中……『炎』の火文字が死者を弔うように燃えていた。